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秋祭り

皆さん、こんにちは!

このところ、随分肌寒くなって来ましたね。

私はようやく昨日で、地元の秋祭りが終わり一段落ついたところです。

これが終わると秋も終盤かなと思います。

祭りは9月から準備が始まりますが、特に10月に入ってからは、9日・16日だんじり曳行、20日は地元神社の秋祭り、またその前後は準備がありますので、毎年忙しく楽しい日々を、この時期は過ごします。

ただ家族がいる東京には暫く戻れませんので、淋しい思いをさせているとは思いますが……。

この週末はやっと東京に戻れそうなので、息子と2人で飲みに行くことにもなっていますし、また、みんなを食事にでも連れて行こうかと考えているところです。

しかし、毎年のことですが、常々この祭りというのは、みんなの協力がないと成り立たないと改めて思います。

当然ながら、2ton以上もある「だんじり」を1日中引き回す訳ですから、まずは若い人達を中心に、大勢の人達がいないと「だんじり」は動きません。

更に、お囃子をする人達、屋根に上がる人達、テコを入れる人達、綱を引く子ども達、その世話をして頂く子ども会の役員の人達、指揮誘導をしてくれる人達、かじ取りをしてくれる人達、祝儀を集めてくれる人達、その祝儀を心よく出して頂ける大勢の地域の方々、炊き出しをして頂く方々、先導車や後方車に乗ってくれる人、子どもにお菓子やジュースを配る人、食事や支払いの段取りをする人達、雑用をしてくれる人、防犯の方々、神社関係者の方々、そして、華を添えてくれる若い女の子達などなど………。

最低でも100名位の人達が集い、これらの分担をしてもらわなければ、祭りは成り立ちません。

誰か欠けても、駄目なのです。

会社も同様に各々が様々な役割分担をして、意識・スキルの温度差はあるものの、しっかりとした結果を出すことで成り立っています。

会長がまた、社長が出来ることは、たかが知れていると思うのです。

私が双方において、心がけていることはただ1つです。

会にあっては、会員の人達、地域の方々にとって、如何に祭を楽しんで頂ける環境を造ってあげることが出来るのか?

会社にあっては、社員の人達にとって如何に働きやすい環境を造ってあげることが出来るのか?

私がしなくてはならないことは、これに尽きるのだろうと思います。

まだ双方とも、実際にはそこまでには至っていないとは思いますが、私に任のある期間は少しでも近づく様、みんなと力を合わせ頑張って行きたいと考えています。

地元の秋祭りは長丁場ではありますが、老人ホームの前で、椅子を並べて「だんじり」が来るのを、今か今かと楽しみに待って頂いている、おじいちゃんやおばあちゃん、子ども達の笑顔、会員の人達や地域の人達が楽しんでいる姿を見ると、私自身も嬉しくなり、それまでの疲れもふっ飛んでしまう感じがします。

幸い今年は晴天に恵まれ、無事祭りを終えることができ、ご協力頂いた会員のみなさん、地域の方々には心より感謝致します。

六然(りくぜん)

皆さん、こんにちは!

一段と秋の気配が深まって来た感じがします。

私達の会社の本社工場は奈良県の香芝にあり、目前には、歴史的にも由緒のある二上山(にじょうざん)を仰ぎ、その麓には田畑が広がるというロケーションにあります。

その眼下の田畑では、いま正に収穫の時を迎え、稲刈りが行われています。

更に、11月頃になると二上山の木々が色づき見事な紅葉を見せてくれます。

東京や都会では、なかなか味わえませんが、この10月から11月にかけて、秋の深まり行く景色が、日本においては一番美しいと思うのです。

皆さんも一度、秋を味わいに出かけて見てはどうでしょうか?

さて、以前のブログで論語を読んでいますとお話しましたが、先般も雑誌を読んでいますと、中国故事が紹介されていました。

流石に中国4000年の歴史というだけあって、様々な先人の方々が、心に沁みる「教え」を残されているのがわかります。

今日はその中で書き留めた「教え」をご紹介させて頂きたいと思います。

それは、中国古代学者の崔銑(さいせん)の「聴松堂語鏡」に記述されている言葉です。

これは、先人が教える心の指針として紹介されていました。

それには「六然(りくぜん)」と呼ばれる6つの指針があるそうです。

六然

  • 自処超然(じしょちょうぜん)
  • 処人藹然(しょじんあいぜん)
  • 有事斬然(ゆうじざんぜん)
  • 無事澄然(ぶじちょうぜん)
  • 得意淡然(とくいたんぜん)
  • 失意泰然(しついたいぜん)

この意味合いは、自分に対しては物事にこだわらないようにし、人に対しては穏やかに好意を持って接する、何か事があるときはきびきびと取り組み、事がないときは水のように澄んだ気持ちでいる、うまくいっているときは淡々としており、失意のときでもゆったりと構えている、という意味だそうです。

これを読んで、自分自身に照らし合わせて見ると、出来ていない部分が沢山あると気づかされます。

特に、自処超然や失意泰然という境地には程遠い感じがします。

しかし、考えるにどんな先人の方々も、一足とびにその境地になったわけではないと思うのです。

若い時は、人一倍、大いに苦しみ、哀しみ、怒り、楽しみ、喜び、悩みながら人生を歩んで来たのだと思うのです。

その結果、年を重ね様々な経験を積むと共に「六然」という境地に達したということなんだろうと思います。

論語もそうですが、これらの「教え」を学ぶことは、私達が人生を歩んで行くうえで、大きな道標となるでしょう。

しかし、私はこの様に思います。

人生において、順風満帆で一生を終えることはあり得ません。

勉学として理解することも大事ですが、かの先人達がそうだった様に、実際に人生に躓き、悩み考え、回りの人達の助けを受け、そしてそれを乗り越えて行く。

更に、様々な経験を重ねて行く中で、いつしかその言葉の意味や意図が心底理解出来る、その様な生き方こそ趣があると思います。

かけがえのない一生

皆さん、こんにちは!

今日は秋晴れの爽やかな1日ですね。

週末、土曜日がお休みの方は3連休になるわけですが、いい天気が続くということなので、絶好の行楽日和になるのではないかと思います。

私は、週末、地元のお祭りがありますので、地域の方々と大いに盛り上がりたいと考えています。

皆さんも、秋らしい一時をどうぞお楽しみ下さい。

さて、今週は私にとって印象に残る又、考えさせられる出来事がありました。

それは、妹の50回忌です。 もうそんなに年月が流れたのかと思うと感慨深いものがあります。

彼女は、私のすぐ下の妹で、昭和37年1月1日、新しい年の幕開けと共に、この世に生を受けました。

名前を恭代(やすよ)といいます。

写真で見る限り、珠のように可愛い赤ちゃんでした。

下の妹2人は恭代が亡くってから生まれていますので、当然ながら、記憶はありません。

私もまた、2才位でしたので、記憶の彼方に、ばあちゃんと乳母車を押してる場面や葬式の場面が脳裏の片隅にかすかにある位です。

しかし、短い時間だったかもしれませんが、紛れもなく一緒に暮らしていたのです。

恭代は生まれた時から、首にできものがあったらしく、命には別状ないものの、月に1度電気治療を行って、1年位すれば完治するということだったそうです。

しかし、生まれた年の10月4日、その日も電気治療の為、病院で治療を受けていたところ、医師が誤って大量の電気を幼い身体に流してしまい、ショック死からその短い生涯を閉じたのです。

今でいうところの完全な医療ミスでした。

その時の両親の気持ちを考えると、胸が張り裂かれる思いです。

あれからかなりの時が流れ、50回忌を迎えるにあたり、もし今、生きていたら、どの様な女性になって、どの様な人生を歩んでいるのだろうなどと考えたりもしましたし、「人の生き死に」や「世の諸行無常」について改めて考えさせられました。

しかし、輪廻転生というのでしょうか? 昭和61年10月5日、私に長男が誕生します。

更に、一番下の娘には、恭代から1文字もらい「紗代」と名付けました。

今後もこの2人が恭代の想いを受けて、しっかりと人生を歩んでくれると思います。

その想いを引き継いで行くことで、人は永遠の命を手にするのかもしれません。

50回忌というのは、今後は永代供養として法要を切り上げるという、一つの大きな節目でもあります。

万感胸に迫る思いがしますが、恭代が生きた証を刻み込んでおきたいと思い、このブログに記述させて頂きました。

今週、皆さんには私の心情を吐露しただけのブログになり申し訳ありませんでした。

合掌