長女の結婚

皆さん、こんにちは!

2月に入りました。早いですね。

古来より、年が明けた3ケ月間の早さを表す例えとして、1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」などと云われています。

昔の人達も、時の早さを感じていたのですね。

早いと云えば、私事で恐縮ではありますが、先週1月31日に長女が結婚を致しました。もう娘も私もそんな年齢になったのかと、改めて時の過ぎ行く早さを感じてしまいました。

今日は、視点を変えて、その時に感じた事をお話しさせて頂きたいと思います。

私達夫婦は、今年で結婚をして丁度30年になります。

2人で紆余曲折をしながら歩んで来た道ではありますが、振り返るとアッと云う間の30年の様に思います。

結婚をして直ぐに子宝に恵まれました。

3人の子ども達がおりますが、ほぼ年子に近い状態で上から、男の子、女の子、女の子の順です。此の度、結婚をしたのは、2番目の女の子です。当時、私も20代と若く、3人の手の掛かる子ども達がいるにも関わらず、仕事、付き合いを優先し、いい父親、夫ではなかった感じがします。

30代半ばになり、転機が訪れます。

仕事の関係で、一家で東京に行く事になりました。子ども達にとっても大きな転機でした。

家内と長男(当時5年生)は大反対。長女は当時3年生、次女は当時2年生でしたので、事の重大さは理解出来る筈もなく、どちらかと云うと、新幹線に乗って東京へ行ける事が嬉しい、そんな捉え方だった様に思います。

私達や子ども達もようやく東京生活に慣れた3年目、又、大きな転機がやって来ます。

私の父が急逝をしました。

私は父の会社を継ぐべく大阪に戻らなくてはなりません。私に選択肢はありませんでした。

家内や子ども達はどうなのか?

また家族で大阪へ戻ろうか?

それとも、東京でも仕事がありましたので、家内と子ども達を東京に残し、平日は大阪、週末は仕事も兼ねて東京に戻る、いわゆる単身赴任の生活にしようか?二者択一でした。

家内とも随分話し合いました。

それでもなかなか結論は出ませんでした。

家内は、子ども達の事を考えると大阪へ戻る事は反対、そして私が単身赴任で大阪へ戻る事も反対でした。

話し合いは平行線のままです。

夫婦喧嘩の毎日でした。

今思うと、まだまだ幼い子ども達を抱え、頼る人もいない東京で私が居ない中、生活をしなければならない事への不安が大きくあったのだと思います。

私達の思いが唯一、一緒だった事は、子ども達の将来についてでした。

子ども達は中学生になり、多感な年齢を迎え、これから高校、大学へ進む大事な時期です。

このまま東京に居て、過ごさせた方が、子ども達の将来にとっては必ず有益なモノとなる筈です。この事だけは一致していました。

しかし、私も家族や社員を守る為、大阪にて陣頭指揮を執るべく仕事をしなくてはなりません。

家内も理屈では分かっていたと思います。

大阪へ戻る日、家内は朝から泣いていました。

顔を合わす事もなく、半ば後ろ髪を引かれる思いで大阪へ行ったのが思い出されます。

苦渋の判断、選択でした。

あれから、18年の歳月が流れ、今でもその生活は続いています。

会社や社員を思い、そして家族を思い、子ども達を思い、無我夢中で駆け抜けて来た感じがします。

本当にアッと云う間の18年でした。

娘は、その後、中学を卒業し、高校、大学と進学、そして大手会社へ就職をする事が出来ました。

そこで、生涯の伴侶と出会い、此の度の結婚と云う運びになったのです。

娘が結婚をする年齢になったのかと思うと感慨深いモノがあります。

これまで、私自身は、仕事中心に走って来ましたので、父親らしい事があまり出来ていないと思いますが、家内には、当時、不安な気持ちを押し隠し、娘が多感な頃を共に乗り越えてくれ、ここまで育ててくれた事に、心より感謝したい気持ちです。

また、娘においても、これまで様々な出来事があったとは思いますが、自分の道を外れず、一生懸命、目標に歩み、自慢の娘に成長してくれた事を、父親として誇らしく、娘にも感謝したい思いです。

そして、先般の披露宴には、娘の中学高校、大学、会社の仲間の皆さんが多勢来られていました。

何より皆さんいい方々ばかりで、娘はこの様な環境、仲間達によって育まれて来たんだなぁと、つくづく感じました。

手前味噌ですが、仲間達による最高の披露宴だったと思います。

今まで娘の成長を一緒に支え、歩んで頂いた皆さんにも本当に心から感謝申し上げますと共に、これからも一緒に歩んで行ってあげて欲しいと思います。

幼少の頃は、両親の環境下、その領域内で子ども達は成長するモノですが、いつの間にか、自身なりの考えを主体的に持つ様になり、自身の行動によって未来を切り開いて行く様になるモノなのですね。

これが本当の意味での成長と云う事なのだと思います。

一般的に見て、証券会社、銀行、商社の方々は年齢以上にしっかりされている印象を持ちます。

本人も去る事ながら、会社の教育、上司の指導が行き届いているのだと考えます。

娘も社会人になって1年目、慣れない仕事に加え、資格などを取得する為、毎日遅くまで勉強をしていたのが思い出されます。

毎朝、早く起き日経新聞を読んで出社する、そんな感じの毎日を過ごしていた様に思います。

日頃の睡眠不足からか?休日には1日中寝ていると云った事も珍しくはありませんでした。

そんな娘も今ではセミナーの講師をさせて頂いているそうです。私としては俄かには信じられませんが‥‥。

それでも時折する経済の話に、自分なりの見解を述べる事もあり、私としては嬉しい驚きがあるのも事実です。

皆さんのお陰で少しずつ着実に成長はしている様です。

まだまだ、会社のお役に立っているとは思いませんが、社会人として1人前になりつつあるのではないかと思っています。これまでご指導頂いております上司の方々、諸先輩の方々、切磋琢磨して頂いています同僚の方々に感謝申し上げます。

披露宴の間、微笑ましく眺めながらも、時間の過ぎ行く早さ、人は環境や仲間によって大きく左右される事、人は一人では育めるモノではないと云う事、目標や夢を持つ事の重要性、岐路に立った時の判断、次のステージへ1歩踏み出す勇気、こんな事を改めて感じていました。

人生も私達が営む企業においても同様です。

自身で目標を設定し、主体性を持って着実に進む事の重要性。

上司や先輩の教育、指導。

付き合うお客様や仕入れ先様によって仕事や自身の成長が大きく左右される事。

一人の能力には限界があるので属人化せず、仲間と共有する事。

その仲間もドングリの背比べではなく、親密感がある中にも切磋琢磨出来る人達である事。

事が生じた場合の判断。

1歩踏み出す勇気。

そして、時間は待ってくれないと云う事。

この様に考えると、人間としての形成過程も、仕事での形成過程も、本質的には変わる事はありません。

これから娘はまた新たなスタートライン、ステージに立ちました。

今後は2人の目標と云う事になります。

人生を歩む上で、順風満帆な時ばかりでは無く、様々な出来事がある事でしょう。

その時、色んな方々に相談する事が大事です。

周りには素晴らしい仲間が沢山おられます。

しかし、最終的には、自分達で判断し、自分達で乗り越えて行かなくてはなりません。

互いを尊重し、話し合い、納得した形で前へ進むのであれば、きっとそれが正しい選択の筈です。

私達がアッと云う間の30年だった様に、娘達も仕事や家庭、また、いずれ誕生するかもしれない子ども達に追われながら過ごす事でしょう。

されど、自分達を見失わず、2人の目標へ向かって着実に歩を進めて欲しいと思います。

2人の未来は2人だけのモノです。

自由に絵を描く事が出来るのです。

親としましては、これから長きに渡る人生において、2人の道をしっかりと築いてくれる事を願うと共に、2人の未来に幸多からん事を祈念するばかりです。