成功者!?の思考回路
皆さん、こんにちは!!
ついに大阪では猛暑日が16日連続となり、観測史上、1942年の記録に並らんだということです。
今日(23日)、猛暑日になる様であれば、記録を更新するというわけです。
私も50年以上生きて来ましたが、今年は今まで経験してきた中で最も暑いのではないか?と思っています。
正に記録的な暑さです。
ただ今日から2~3日、天気予報によると、久し振りに全国各地で雨模様だそうです。
極地豪雨では困るわけですが、全国的に雨が降ることで、雨不足やこの暑さが少しでも緩和されれば……と思います。
さて先般、面白い記事を発見しました。
それは「成功をしている人の思考には1つの特徴がある」というものでした。
そこで皆さんに質問です。
『成功している人の思考の特徴とはなんでしょう?
①情報収集が秀でている ②情報整理が優れている ③情報発信力がずば抜けている
一瞬で気づいた人は間違いなく成功者になれます。』
この様な質問の内容でした。
お分かりになったでしょうか?
答えは「情報を疑う人」だそうです。
「そんなの3択にないやん」といわれると思います。
少し意地の悪い質問です。
その記事に書かれてあった解釈は次の様な内容でした。
「普通、上記の様な質問をすると、無意識の内に、あたかも3択の中に答えがあるという固定観念に陥ってしまいます。」
「質問のどこかに、次の3択から選んで下さい、と書かれてありましたか?」
「成功者達の思考は、固定観念に捕らわれず、今、現存するモノや新たに入ってくる情報を疑ってみる、この様な思考回路を常に持ちながら、仕事と対峙している人達です。」
この様な結論でした。
上記の質問は、少し意地の悪い、トンチの効いた内容の様に思いますが、「情報を疑う」「固定観念に捕らわれない」「現状を疑う」これらは、成功者に限らず、過去の常識や経験だけに頼っていたのでは結果が出なくなった現代にあっては、仕事をして行く上で必須の思考だと認識をしなければならないんだろうと考えます。
その昔、少し強引な見方をするならば、高度経済成長期においては、ビジネスを立ち上げ、そしてそのビジネスを実行して行くスキームを一度構築すれば、あとは何の疑問も持たずとも、その枠内で一生懸命業務をこなせば、毎年、結果は自と付いて来たものです。
しかし、現代にあっては、たとえ一生懸命やっていたとしても結果が付いてくるとは限らなくなってしまいました。
であるならば、「現状を疑う」必要があります。
結果が出ないのであれば、自社のビジネスモデル自体がどうなのか? そもそもの事業がどうなのか?を疑わなければなりません。
固定観念や感情に捕らわれていたのでは本質が見えて来なくなります。
そして、ビジネスモデルが問題なければ、それを実行して行くスキームに何か問題があるのか?プロセスに問題があるのか?と疑わなければなりません。
そこを疑わなければ、その枠内で仕事を淡々とこなしているだけで、思う様な結果は得られないと考えます。
そこを疑うからこそ、様々な課題が見えて来て、それを進化・改善、そして解決して行くことで………また、この作業を愚直に繰り返し、そして実行して行くことで、プロセス毎の精度が高まり結果が得やすくなって成功の道を歩むことになるのだろうと思うのです。
現代において結果を得る為には、各々が、「現状を疑う」「固定観念に捕らわれない」これらの思考の基、仕事に向き合わう必要があるのだろうと考えます。
また、「情報を疑う」こともやはり重要です。
今や昔と違って、瞬時に世界中の情報を入手することが可能です。
従って、余多ある情報の中から、それらを精査し、正しい情報を仕入れる必要があります。
私自身、情報(人の話も含む)への対処法は、まず、情報を客観的事実と主観的情報に分け、そして自身の基準に照らし合わせて判断をしています。
その基準とは、「原理原則」「本質(哲学)」「あるべき姿」「事実」、このどれかに照らし合わせるという感じです。
まず、客観的事実に基づく情報に関しましては、疑う余地はないと思います。
例えば、昨日、歌手の藤圭子さんが亡くなられました。
これは、事実確認も済んでいて疑い様のない事実です。
しかし、次に自殺なのか?事故なのか?これはまだ分かりません。
要は、報道をする人達の憶測や主観が入っています。
これには、現時点で疑っているという具合です。
客観的事実は、素直に入手する。しかし、事実確認がなく憶測や主観だけの情報、または道理(原理原則、本質)に合わない情報は確認・検証出来るまで信用しない。というのが情報に対する私の思考回路です。
これは、新聞においても同様です。
客観的事実は、当たり前としても、その論評は各紙違います。
これも至極当然で、各紙にもそれぞれ思想がありますので、それに基づき主観を掲載しているわけです。
ですから、客観的事実も主観も全て信用してしまうというのは危険な感じがします。
客観的事実は、事実として捕らえ、主観的情報は、One of them として捕らえ、自身の物差しで判断をするということが望ましいのではないか?と思うのです。
仕事においても同様です。
例えば(例文)
ある材料商社の担当者が「急激な円安によって原材料が高騰しているんです。弊社としましても自助努力はしているものの、如何ともし難い状況になって来ています。つきましては、これだけ値上げをお願い出来ませんでしょうか?」
一般的によくある話です。
ここで、質問です。
上記の例文の中で、どこが客観的事実で、どこが主観的情報でしょうか? そして、その主観的情報をどの様に読み解かなければならないでしょうか?
(答え)
客観的事実は、「円安によって原材料が上がっている」ということだけです。
主観的情報は、「これだけ値上げして欲しい」という点です。
そして、その主観的情報を認知してもらう為の情報として、高騰している、自助努力をしているというわけです。
何を以って高騰しているか?自助努力しているのか?は、冷たく言えばどちらでもいい情報です。(情報を精査する時は、まず感情論は度外視しなくてはなりません)
まず様々に入り込んだ情報から、感情は抜きにして、瞬時に客観的事実、主観的情報だけを頭の中で区別する必要があります。
例文の場合、客観的事実として、「円安によって原材料が上がっている」ということがあります。それを認識した上で、次に主観的情報として、「だから、これだけ値上げして欲しい」と言っている訳です。
主観的情報は千差万別なので、ある会社は「今は、値上げをせずに市場を拡大しよう」と考えているかもしれません。
又ある会社は「こういう時期だから値上げはお願いするとしても、お客様のことを考えて、アップ率をこれだけに留めておこう」と考えているかもしれません。
又ある会社は「原材料が上がった分、売価転嫁させて頂こう」などという様に、本当に様々なのです。
だから、主観的情報なのです。
主観的情報までも鵜呑みにしてしまっては、自分達が納得をする仕事の結果は得られません。
客観的事実として、まず認識をし、次に主観的情報を上述の様な見方で認識をし、そして「仕入先様も色々、弊社のことを考え努力してくれているなぁ。長年の取引先でもあるし……」という様な感情論を加味して、最後に会社方針、自身の基準に乗っとって判断する、という思考で情報を処理しなければならないと考えています。
感情論が先に来たり、何の裏付けもない主観的情報までをも信用してしまうと、本質的な仕事の進め方から大きく解離し、気が付けば、成功から真逆の方向を歩んでいるということになっているかもしれませんね。