子供教育
皆さん、こんにちは!
今週、大阪では少し寒さも和らいで比較的過ごし易かったのではないでしょうか?
私達の会社は7日スタートでしたので、今週は慌ただしく行事を消化しましたが、いよいよ「2013年が始まった」と気を引き締めている所です。
さて、年明け間もないということですが、早々にショッキングなニュースが飛び込んで来ました。
大阪の桜宮高校において、体罰を苦に男子生徒が自ら命を絶ったというものです。
高校入学時には、親子共々、希望と期待に胸を膨らまし、広がる未来を想像していたはずです。
そんな事を考えると、そのお子さん、親御さんの無念さは計りしれませんし、残念でなりません。
学校として、先生として、自分の生徒の未来を、この様な形で奪った事に関して、言語道断、断じて許せない、そんな思いです。
今回の事は、言い訳の許されない結果を招いてしまった訳ですが、「教育における体罰」というのは、賛否両論あり難しい問題でもあります。
アメリカにおいては、「体罰はNO」という風潮が広がっています。
家庭のしつけにおいても、万が一、親が子供を叩いている所を誰かに見られたとすると、児童虐待ということで、場合によっては警察に通報されることもあるそうです。
しかし、一方で中部や南部の保守的な洲では法律で体罰を認めている所もあるということです。
やはり、この「教育における体罰」はどこの国でも難しい問題の様です。
私が思うに、体罰の大きな問題は、肉体的苦痛よりも精神的苦痛にあります。
体罰を受けることで、屈辱や侮辱、人としての尊厳が著しく傷つけられてしまいます。
そして、それを受ける人の考え方や感受性、ストレス耐性は人によって違いまので、当然ながら、精神的苦痛の度合いも人によって大きく変わってしまいます。
これは、体罰を受けた本人にしかわからないことです。
従って、一概に体罰が良いとか悪いとか、30発だから悪い1発なら良いとか、何か基準を作らなければならないとか……人は千差万別、一人一様です。
そんな単純な物差しで人を嵌め込むこと事態、ナンセンスだと私は思います。
言葉で言うならば、まず人として尊重をする事、そして、各々の性格を把握した上で、愛情を持って、その人にあった指導や教育をするという事につきます。
そういった、包容と慈愛、見識、見聞を持った人が先生にならなければならないと考えます。
良い先生も沢山おられますが、そう考えると、体罰云々と議論するよりも、先生の質の向上、採用の 在り方、学校教育の在り方を突き詰めねばならないのではないか?と思うのです。
体罰については、アメリカで次の様な調査結果があります。
36000人を対象に60年前に遡って体罰の影響を調べたものです。
それによると、短期的には命令に従うなど効用は見られるものの、長期的に見ると、攻撃的性格になる、反社会的行動に走る、精神的疾患を発症するといった傾向が強くなるということだそうです。
そして私達、親は誰よりも子供の性格は把握しています。
私達、親が出来る事は、特に、子供の思春期に当たる、中学進学、高校進学という岐路において、まず子供の性格に適応した環境で学校生活を送らせてあげる様にするということだろうと考えています。
私の3人の子供達は20才を越えています。
兄妹といっても性格はバラバラです。
その昔、進学という岐路において、まずその子の能力の範囲である学校を何校か見学に行きました。
そこで、校長先生や教頭先生、主任先生に学校方針や考え方を聞かせてもらい、学校内を見学させて頂きました。
そしてその子の性格に合っているであろう何校かをピックアップして、最終的には本人に決めさせて受験をしました。
能力よりも、その子の性格に合った環境を重視したのです。
それが良かったか?どうかは定かではありませんが、3人共、多感な思春期を比較的順調に成長してくれました。
また、親は子供にとって最大の理解者であり最大の相談相手でなくてはならないと思います。
幸い、私の家内は子供達とは仲が良く、友達の様な関係で、子供達はあまり隠さず話をしている様に思います。
それにより、子供の微妙な変化も見逃さずに来れたのかなぁと感謝しています。
今の時代、学校側だけに全てを押し付ける風潮がややもするとある様に感じます。
親だから出来る事、しなければならない事、学校だから出来る事、しなければならない事、また、双方協力することによって出来る事、しなければならない事が存在するはずです。
理想かもしれませんが、今一度、学校教育の在り方を見直し、親も参画協力をして、体罰やいじめがなく、大事な子供達を学力も去ることながら、心身共に成長させる、そんな子供教育を作り上げて欲しいものです。