宰予の昼寝

皆さん、こんにちは。

まぁめっきり寒くなりましたね。

私達の本社工場は奈良の香芝というところにあります。

私は東大阪に住んでいますので、毎日約1時間掛けて通勤しています。

1つ山を越した大阪と隣接するところ位に本社工場はありますが、その山の境目で空気が変わるのがわかります。

やはり盆地ということもあり、大阪とは気温で2~3度、また目前に二上山という山かあり、この吹き下ろしもきつく体感温度では10度以上違う感じがします。

数日前も雪が舞っているという状態でした。

私は冬が苦手なので、この時期は辛いのですが、防寒対策をしっかりとして乗り切りたいと思います。

さて今日は私も常に悩む、「怒り方」「叱り方」について話しをさせて頂きます。

現代においては、「褒めて伸ばす」「ティーチングよりもコーチング」「人によって怒り方を変えなくてはいけない」などと言われています。

昔はその様なことは言いませんでした。

私の場合は「是々非々」です。

いいものはいい、ダメなものはダメということです。

そしてどちらかというと、起こってしまった事柄より、その過程やその人が気づかず、しかし仕事を遂行して行く上で通り過ぎてはダメだと判断した場合に注意をするようにしています。

上述の様に「褒めて伸ばす」という現代にあって「是々非々」という対応ではダメなのだろうか?という葛藤もありました。

そんな中で、孔子は「常に客観的な立場にたって是々非々で叱からなければならない」との考えを示されているのに気づきました。

目から鱗が取れた思いです。

何故なら、これが一番公平でブレがなく、いつの世でも通用するからだとしています。

ある時、弟子の宰予(さいよ)が怠けて昼寝をしていて、こっぴどく叱責されました。 これは「宰予の昼寝」として有名らしいです。

一方で弟子の願回(がんかい)のことは褒めています。

これは決して依怙贔屓ではなく、孔子が目指す基準を周囲に示すことになるのです。

要は基準を設け、それにより是々非々で判断しなさいということです。

確かに、そう言えばそうだと納得しました。

私は地域の会もさせて頂いていますが、私の基準はボランティアの会ですので会員登録をして頂いているだけでOKということです。

周りは「出てきてるのにアイツは何もしない」と怒っていることがあります。

これもその怒る基準がそれぞれ違うということを意味しています。

会社においては、会社に来てくれるだけでOKとは行きませんので、逆に私の基準は高く、その判断基準を持って是々非々で対応しています。

ですから、社内においては、上司の基準を明確に掴み、仕事を遂行して行くことが肝要ではないか?と考えます。

これは仕事をして行く上で、対外的にも有効に使えると考えています。

お客様は多岐にわたり、その窓口になる人の考えもまた多種多様です。

その時にその人の基準を的確に把握し、仕事を行えば相手を怒らせることはないということも言えるわけです。

社内や身内だけならば「褒めて伸ばす」ということだけを行っていても問題はないのかもしれませんが、多種多様に及ぶ人の喜怒哀楽には対応出来ないところもあるのではないか?と思うのです。

特に上に立つ人は、仕事がOn の時は孔子が言うように、自分達が目指すところの基準をつくり、是々非々での判断をベースにした方がブレない組織になるのではないかと思うのです。