プレッシャー
皆さん、こんにちは!
今週は気温が高く、日中は汗ばむ位の陽気でした。 一方で朝晩は気温が下がり、寒暖の差が大きく、風邪を引かれている方々も、お見受けします。
皆さんも体調にはご注意下さい。
明日は年に一度の会社主催のゴルフコンペがあります。
気候も良さそうですし、日頃ご協力頂いております会社関係者の皆さん、スタッフらと共に楽しい一時を過ごしたいと思います。
さて、今日は「プレッシャー」について少しお話をしたいと思います。
ゴルフも個人競技で、自分との闘いという要素が強く、メンタル面が左右するスポーツだといわれています。
また、一般的に真面目な人や几帳面な人の方がプレッシャーを感じ易い傾向にある様で、その人の性格によるところも大きな割合を占めると思います。
かくゆう私も小さい頃はどちらかというと、内向的であがり症であった様に思います。 また、血液型はA型で、これは一般的に真面目で几帳面だといわれています。 私も少なからず、そういった面も持ち合わせているとは思いますが、今の私を知る多くの方々には、にわかには信じられない話の様です。
その人の本質は年を重ねても、大きくは変わらないかもしれませんが、経験や知識を得ることで、生まれ持った性格の肉付けは出来るのだろうと考えています。
私の概念として、「プレッシャー」というものは、「今、置かれている環境の中で、自分自身の望む結果と、現段階における自分自身との大きなギャップ」によって生じるものだと思うのです。
1人で鼻歌を唄うには問題ないが、人の前で唄うとなると… みんなでしゃべっているには問題ないが、大勢の人の前で話すとなると…
例えば、この様な場合、多少なりともプレッシャーが掛かるのではないでしょうか?
これは途端に、自分の望む結果が設定され、自分とのギャップが生まれるからだと思います。
上手に唄いたい、話したい、又はそう見られたい(望む結果)しかし、上手く唄う、話す自信がない(現段階の自分)。
このギャップが「プレッシャー」となると考えます。
仕事や勉強においても、ぬるま湯的な環境や各々の成績が、どんぐりの背比べといった環境では、プレッシャーを受けることは、あまりないのではないでしょうか?
しかし、その成績に差が出始めると、途端にプレッシャーが存在し始めます。
上の者は、抜かれたくないというプレッシャー、下の者は、上の者に追いつかなければならないというプレッシャーが生じます。
いずれにせよ、プレッシャーというものは、上述の様に「自分の望む結果」によって、プレッシャーの大きさも正比例します。
逆に言えば、自分が結果を望まなければ、プレッシャーは少なくて済むかもしれません。
会社において、出世を望まない人達が増えて来ていると聞きますが、これもいい意味では、自分の時間を大切にしたい、悪くいうとプレッシャーを回避したいということなんだろうと思います。
「プレッシャー」ということを、あたかも、与えられていると考え、後ろ向きに捉え過ぎている様に思うのです。
私は「プレッシャー」をこの様に捉えています。
プレッシャーはあくまでも、「自分が望む結果」によって生じるもので、人から受けるものではない。
自分に望む結果があるということは、自分がまだ向上したいという表れである。
従って、「プレッシャー」が存在するということは、自身の潜在意識において、自らが成長しようとしている証であると考える様にしています。
私も様々なプレッシャーに押し潰されそうになったことも幾度となくありました。
「もう、やーめた」と考えれば、プレッシャーからは解放されていたのかもしれません。
その時、自問自答をした時、自分自身が一番納得できなかったのです。
そして、ハタと気が付きました。 「プレッシャー」とは、己自身の問題なのだと。
それで、上述の捉え方に考えが変わったのです。
これであれば、人の性格によるところも大きいのですが、まずは自己責任として「プレッシャー」を前向きに捉えられると思います。
あとは、手法論になりますが、その抱えているプレッシャーの解決方法を行動レベルにまで落とし込むことです。
そして、この行動からは逃げてはいけません。
それを重ねることでプレッシャーの度合いも必ず薄れて行くからです。
人は誰もが一つや二つのコンプレックスを持ち、プレッシャーを抱えて人生を歩んでいると思います。
プレッシャーが存在するということは、決して悪いことではありません。
プレッシャーを潜在的な成長と捉え、それを克服していく課程に意義あると思うのです。