六然(りくぜん)
皆さん、こんにちは!
一段と秋の気配が深まって来た感じがします。
私達の会社の本社工場は奈良県の香芝にあり、目前には、歴史的にも由緒のある二上山(にじょうざん)を仰ぎ、その麓には田畑が広がるというロケーションにあります。
その眼下の田畑では、いま正に収穫の時を迎え、稲刈りが行われています。
更に、11月頃になると二上山の木々が色づき見事な紅葉を見せてくれます。
東京や都会では、なかなか味わえませんが、この10月から11月にかけて、秋の深まり行く景色が、日本においては一番美しいと思うのです。
皆さんも一度、秋を味わいに出かけて見てはどうでしょうか?
さて、以前のブログで論語を読んでいますとお話しましたが、先般も雑誌を読んでいますと、中国故事が紹介されていました。
流石に中国4000年の歴史というだけあって、様々な先人の方々が、心に沁みる「教え」を残されているのがわかります。
今日はその中で書き留めた「教え」をご紹介させて頂きたいと思います。
それは、中国古代学者の崔銑(さいせん)の「聴松堂語鏡」に記述されている言葉です。
これは、先人が教える心の指針として紹介されていました。
それには「六然(りくぜん)」と呼ばれる6つの指針があるそうです。
六然
- 自処超然(じしょちょうぜん)
- 処人藹然(しょじんあいぜん)
- 有事斬然(ゆうじざんぜん)
- 無事澄然(ぶじちょうぜん)
- 得意淡然(とくいたんぜん)
- 失意泰然(しついたいぜん)
この意味合いは、自分に対しては物事にこだわらないようにし、人に対しては穏やかに好意を持って接する、何か事があるときはきびきびと取り組み、事がないときは水のように澄んだ気持ちでいる、うまくいっているときは淡々としており、失意のときでもゆったりと構えている、という意味だそうです。
これを読んで、自分自身に照らし合わせて見ると、出来ていない部分が沢山あると気づかされます。
特に、自処超然や失意泰然という境地には程遠い感じがします。
しかし、考えるにどんな先人の方々も、一足とびにその境地になったわけではないと思うのです。
若い時は、人一倍、大いに苦しみ、哀しみ、怒り、楽しみ、喜び、悩みながら人生を歩んで来たのだと思うのです。
その結果、年を重ね様々な経験を積むと共に「六然」という境地に達したということなんだろうと思います。
論語もそうですが、これらの「教え」を学ぶことは、私達が人生を歩んで行くうえで、大きな道標となるでしょう。
しかし、私はこの様に思います。
人生において、順風満帆で一生を終えることはあり得ません。
勉学として理解することも大事ですが、かの先人達がそうだった様に、実際に人生に躓き、悩み考え、回りの人達の助けを受け、そしてそれを乗り越えて行く。
更に、様々な経験を重ねて行く中で、いつしかその言葉の意味や意図が心底理解出来る、その様な生き方こそ趣があると思います。