人生観

皆さん、こんにちは! いよいよ11月も終わりですね。 ここ暫くは小春日和が続いていて心地よい感じがします。

政治の世界では事業仕分けが連日 新聞やニュースで取り上げられていて、官僚と私達民間とでは意識の差が大きいと思うことがしばしばあります。そこにどっぷりと浸かってしまうと見えてこなくなるものかもしれません。

私はこれまで意識が変わった瞬間は4回あります。 そのうち仕事に対する意識の変化は3回です。

全ての共通ワードは「責任」です。

1回目は結婚した時、2回目は子供が出来た時、3回目は父が長期入院した時。

当時私は27歳でした。

1回目は妻に対する責任、2回目は家族に対する責任、3回目は母、妹、親戚そして社員や社員の家族に対する責任。

責任の範囲が広くなればなる程、仕事に対する意識が深く広くなっていった様に思います。現在に至っては経験値もありますので多少肉付けはあると思いますが、仕事に対する意識、根本的な考え方は27歳から変わりませんし、この時に確立されたと思っています。

今日の本題はここからです。 では残りの1回はと言いますと人生観が変わった瞬間です。私の場合、今のところ後にも先にも1回きりです。

それは私が大学4年の卒業を間近に控えた時でした。大学生活は楽しかったのですが、何かやり遂げたと云う実感がありませんでした。就職をしてしまうと時間が無くなりますので、今このタイミングでしか成し得ないことをやり遂げて、自分のケジメとしたかったのです。

そこで友人と相談をし、決定したのがアメリカへの1ヶ月冒険旅行と云うものでした。

珍道中の始まりです。 当時1番安かった大韓航空で韓国を経由してロサンゼルスに行きました。見る景色見る景色が新鮮で、空はどこまでも青く、街の作りも洗練されていて輝いて見えました。

絶頂を誇るアメリカがそこにありました。

又、日本を離れてみると客観的に日本の良さ悪さがわかる思いがしました。

そんな中今回の旅行で、私にはどうしても行ってみたい所がありました。

そこはグランドキャニオンです。

グランドキャニオン – Google 画像検索 http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3&sourceid=navclient-ff&rlz=1B3GGGL_jaJP354JP354&ie=UTF-8

ロサンゼルスでレンタカーを借り、そこで知り合った仲間5人で一路グランドキャニオンを目指しました。途中ラスベガスへ寄ったり、フラッグスタッフと云う街で一泊しながら目的のグランドキャニオンに着きました。 そして車を降りて展望台と思われる場所へ足を運びました。

私の人生観が変わった瞬間です。

このグランドキャニオンは遥か16億年前、地殻変動やコロラド川の浸食によってつくり出された渓谷だそうです。眼下に広がった想像を絶する大自然の迫力は、人とはなんと無力なものなのかや人は生かされているのだと云うことにも気づかせてくれました。

人とはどうあるべきか?いわゆる哲学の部分に触れた瞬間でもあったのです。

それまでの私はワガママで自己中心だった様に思います。正義感が強く、曲がったことが嫌い。人の好き嫌いもハッキリしていたと思います。

人は直ぐには変わりませんが、それ以来 哲学の概念が生まれ経験と共に徐々に人としての幅や深みが広がって行った様に思います。 この旅行で沢山の思い出と体験、そして人生観をも変わることに出会え、4年の大学生活が有意義なものになりました。

これでケジメをつけ、翌月新社会人としてのスタートが幕を開けたのです。

同じ光景を見ても人によって感じ方は違います。 同じ事を話しても人によって又捉え方が違います。

大事な事は、経験したこと、勉強したこと、話してもらったことなどをどのように感じ、どのように捉え、どのように自分の中で消化し、それをどのように活かしていくか?そして続けていくか? ということ何だろうと思います。

そうしていけば、明日は生まれ変わった自分に出会えるかもしれません。