東京営業所開設
私の家族は東京にいます。
出身は大阪ですし、本社は大阪、本社工場は奈良にありますので文字通り逆単身赴任生活という訳です。
そもそも東京へ行ったのが約10年前。東京営業所を開設するという目的で、格好よくいうと成功するまで帰らない覚悟のもと、家を売却し退路を断って小さい子供を3人連れて東京へ乗り込みました。
夜中に大阪を車で出発し東京に着いたのは夜明け頃でした。白々夜が明けていく朝もやの中東京のビル街が迫ってくる光景は今でも忘れることはありません。当時36歳のことでした。
豊島区の上池袋にマンションを借りその一室を事務所にしてのスタートです。会社の売上が伸び悩んでいる時期でもありました。今から思うと東京で売上を上げて、社長を少しでも楽にさせてあげよう!社員達を守るんだ!そして家族を守るんだ!その一心だけでした。
土曜も日曜も時間も関係なく、家内に電話番をしてもらいながら右も左もわからない東京をひたすら走り周りました。従来のお客様は少しありましたが計算を出来るまでには至っていません。
当時社長からは毎月200万の売上をなんとかしてくれ!という指示でした。200万の売上は3月も経たない間にクリアしましたがそれ位では社長、社員達を楽にしてあげることは出来ません。私自身が目標に掲げたノルマは毎月コンスタントに1000万円の売上を上げるというものでした。
しかし、低単価の金属部品を1000万円売ることは困難を極めました。くる日もくる日も電話のない時もありました。1本の電話、1個の注文が本当に有り難く感じました。これは経験をしたものでないと理解できないかもしれません。そして半年が過ぎ1つの注文をきっかけに売上が伸びはじめました。それからは順調に推移し約1年位で1000万円はクリアするようになりました。
そして2001年3月念願の東京営業所を北区滝野川に開設することができたのです。東京へ行って3年の月日が経っていました。先代社長にとっては50年来の悲願もあり大変喜んでくれていました。
そしてその6月先代社長が突然この世を去ります。私にとって東京営業所を開設し見せることができたのが唯一の親孝行だったのです。