ゆとり教育の弊害?
皆さん、こんにちは!
私は東京にいますが、曇り空で少し肌寒い感じです。
予報では暫く、こちらは曇りが続き気温もあまり上がらないようです。
今日も夕方からは雨ということですが…。
気温差も大きいことから、風邪を引かれている方が多い様です。
ドラッグストアーでも通常はこの時期になると風邪薬などのコーナーは縮小するということですが、今年はまだ需要が落ちないそうです。
皆さんも体調管理には気を付けて下さい。
さて、話しは変わりますが、「ゆとり教育」の弊害的なことをよく耳にします。
その「ゆとり教育」を受けた人達が今や社会に出てきています。
私の印象として、総体的に、受動的で競争心が希薄な人達が増えてきていると感じています。
勿論、「ゆとり教育」だけではなく、その人の性格的な要素も多分に影響しているとは思います。
私達の頃は、人数が圧倒的に多かったので、上述の様な受動的で競争心が希薄な人達でも、いわば勝手に競争が出来ていたのかもしれません。
リーダーシップを発揮して、能動的に主体的に自主的に行動ができる性格の人達は、「ゆとり教育」時代であれ何であれ、実はあまり問題はありません。
私が考える「ゆとり教育」の弊害は、小学、中学、高校と人間形成において一番重要な時期に、受動的で消極的な性格の人達をも「ゆとり教育」の名の元に放置してしまったところにあると考えています。
その人達も素晴らしい人格を持っておられることは言うまでもありませんが、社会に出ると悲しいかな競争原理が本質的に存在してしまうのです。
このようなことから、受動的で競争心が希薄な人達が増えてしまったのではないか?と思うのです。
「自分はあまり競争をしたくない」と言っても、社会全体を考えると、誰かがあなたの替わりに競争をしてくれているのです。
社会でも会社でもその人達をも守ってあげなくてはならないとは思いますが、その割合が増えてしまうとギリシャの様に国を滅ぼし兼ねない事態となってしまいます。
ギリシャは60%が公務員です。当然失業率も高いので、実際、国を守る為に競争をしている人達は30%位ではないでしょうか?
こういった現象が、社会であれ、会社であれ最も危惧しなければならない事案であると考えるのです。
先般ある大学において、「自主的に勉強をさせる動機付けの仕組み」(どのような内容かは記述されていませんでしたが…)を構築して実施したところ、学力の目覚ましい向上が顕著で、大手企業の就職率も大幅に改善されたという記事が載っていました。
私も今の時代に生き、経営をさせて頂いていますので、上述の様な人達が増えてきたというだけで放置しておくわけにはいきません。
どのようにすれば、能動的に主体的になるのか?を考え続けていました。
そして今のところ、その答えはやはり、「動機付け」だろうと考えています。
最近、ゴルフの話をよくしていますが、今までは年輩の人達とのゴルフが主流だったので、正直あまり力が入らなかったということもありましたが、この前、友人達と久しぶりにゴルフをし、内容的に負けていると思い、それ以降、練習も自主的に行く様になり、この前は40、44でした。大分戻りつつあります。
こんなことも「動機付け」の1つです。
自分の周りに、競争心を燃やす相手がいない、またはドングリの背比べでは、本来ポテンシャルが高い人でも、埋もれてしまう傾向にあります。
これも弊害と言えるかもしれません。
私達の会社では、この7月より「動機付けゲーム」を実施することにしています。
ゲームにしたのは、最初の入口のハードルを低くし、そして誰もが楽しみながら取り組め、しかも仕事の邪魔にならないだろうと考えたからです。
仕事の邪魔になる?ならない?は、実はどんな忙しい状況であれ、個人の受けとめ方だけです。
やらされている感のある仕事は、面倒くさいと人は思い、楽しんでするものは不可が掛かっていても、人は面倒くさいとは思わないものです。
話は戻りますが、そのゲームを通して、それを自然と行って行く中で、何か勝手に自身が変化している。
そういった状況を作り出せないものか?と考え、ここ1年間改善に改善を重ね、ようやく1つの形ができたのです。
自分の意識が変われば、行動が変わります。 行動が変われば、相手が変わります。 相手が変われば、結果が変わります。
今、一部の会社や大学が、このようなことに気付き、取り組まれていますが、そこの会社や大学に居られる方々は善しとしても、ギリシャの様になってからでは遅すぎます。
教育は百年の大計といいます。
国として今一度、教育の在り方、大綱を考えなくてはならないのではないでしょうか?