中国工場設立10周年
皆さん、こんにちは!!
随分と秋深くなってきました。
あちらこちらで紅葉の見頃との便りも聞こえて来るようになりました。
また、明日から3連休というところも多いと思います。
今年最後の行楽シーズンですので、お出掛けになられてはどうでしょうか?
話は変わりますが、先週から今週に掛けて中国のスタッフが訪日をしています。
2002年9月、今後を見据えて中国の連運港というところに独資で中国工場を設立しました。
それから丁度、10年が過ぎたことになります。
設立当初、何もかも事情が違う中国において、以前より仕事での関係があり、信頼出来るであろう中国人を総経理とし、弊社スタッフがフォローし、暗中模索、五里霧中、紆余曲折しながら進んでいました。
2003年、サーズ問題が中国で発生し、弊社スタッフが数ヶ月、訪中出来ない状況になりました。
その後、再び訪中した時、工場の荒廃化が人を中心に広がっていました。
労働争議、噂、抽象誹謗、リベート、税関関係者との問題、弊社スタッフの軟禁などなど日本では考えられない事態にも幾度となく直面をしました。
当時、責任者として訪中していた弊社スタッフの心労を考えると申し訳ない気持ちになります。
大鉈を振るい、総経理、副総経理など悪玉を一掃して中国工場も平穏を取り戻し、前に進み出したかに見えても、また、同じようなことが起こってしまうのが現状です。
弊社日本人スタッフも頑張ってくれましたが、結果的に軌道に乗らず、「このままでは、歯止めが効かず闇雲にお金が出ていくだけだ」「折角、日本の会社は改革を進めているのに共倒れになってしまう」「それに、これ以上日本人のスタッフに心労を掛けられない」との考えから、独資工場の経営権を法人代表も含め、無償譲渡する決意を固めました。
これは1つの大きな賭でした。
当時、中国工場は日本の会社(コシオカ産業)の主要顧客の主要商品群を生産していましたので、万が一、生産に支障をきたしてしまうと日本の会社そのものが窮地に陥ってしまうという事も十分、考えられる事でした。
しかし、当時の中国工場の事情や将来的に考えた時、可能性としては、経営権を無償譲渡した方が、僅かでも歩があるという究極の選択だったのです。
そして誰に経営をお願いするか?が最も重要で失敗の許されない人事でした。
中国工場は、プラスチック成形品を主に生産していますが、その設立と時を同じくして、金属製品を主たる生産として起業された青島にある吉栄という中国会社の社長がおられます。
誠実な人柄で弊社も金属製品を生産する際には、その会社に依頼をしていました。
当時は100%弊社の製品を生産していて、弊社の成長と共に、その会社も成長をして行き、その社長とは家族ぐるみのお付き合いです。
その彼に弊社の中国工場の経営をお願いすることにしました。
何点か問題点もありましたが、2007年7月、最終的には合意に至り、経営権を無償譲渡することになりました。
それ以降、当然ながら中国工場の雑音は消え、まずはスタッフの心労がなくなり、目に見えた経費だけでも随分削減出来たものです。
その後、生産性も高まり、品質、納期も問題はなくなり、逆にコストダウンも出来ました。
彼のお蔭で中国工場は完全に軌道に乗りました。
中小企業の中国工場運営には困難を極めている会社が多い訳ですが、私達は人に恵まれ運よくスムーズで合理的な関係が保たれています。
今回、中国工場の10周年を記念して、私が現地に赴き、祝いをする予定でしたが、その彼の提案で、「設立期から今まで頑張ってくれた中国工場のスタッフ数名を日本に連れて行きたい」との申し出があり、冒頭の来日という運びになったのでした。
「十年一昔」と言いますが、上述の様な変遷があり、今日の中国工場の繁栄を考えると感慨深いものがあります。
中国工場のスタッフも日本に来れてモチベーションが上がると思いますし、現場見学や仕事に関する考え方、日本文化に触れ、何かを学び、何かに気付いてくれることでしょう。
それが自身を成長させ、企業を発展へと導いてくれると思うのです。