親子喧嘩?

皆さん、こんにちは!

桜が満開ですね。

私は毎年この時期になると桜を見るのを楽しみにしています。

不思議と何故か毎年、東京の方が大阪より1週間ほど早く満開になります。

緯度的には東京の方が上にあるはずですので、本来は大阪の方が早くに満開になるはずですが‥‥‥。

私はまず東京の桜を見出て、そして大阪の桜を見出る‥‥という感じでこの時期を楽しんでいますが、今年はどちらも早くに満開になりましたので、予定が少し狂ってしまっています。

桜は見頃が1週間ほどしかない訳ですが、それが又いいのかもしれません。

そしてこの4月は卒業、入学、出会い、別れの季節でもあります。

そういった自身の思い出と桜を重なり合わせ‥‥私達は桜の儚さを憂いながら楽しんでいるのかもしれません。

予定は少し狂いましたが、年に1度のこの時期を、桜を追っ掛けながら楽しみたいと思います。

さて、話は変わりますが、日本や多くの大手企業にあっては3月の年度末が終わり、新年度がスタートする4月です。

当社にありましては、6月が年度末ですので、4月からいよいよ最終4半期が始まり、最後の追い込みというところです。

3月年度末といいますと、世間を騒がせた「大塚家具」も漸く決着した感じです。

一般には親子喧嘩という捉え方でした。

確かに父親である会長は、子どもの喧嘩の様な言動だった印象があります。

実際の政策論より、その辺りが株主の方々の思うところとなり、大差での決着となった様に思います。

会社は「社会の公器」といわれる様に、個人や創業家の持ち物ではありません。

会社が成長し、大きくなればなる程、社会の公器としての責任は重くなります。

一方で、創業者の方々は、会社をゼロから苦労をされて立ち上げて来られましたので、自身の分身‥‥自身の子ども‥‥と考え、その愛情を会社に注いでおられます。

「会社の成長」と「親としての愛情」、このバランスが崩れると、世間からは「見苦しい」と映ってしまうものかもしれません。

実際の親子でも同様です。

小さい頃は、手塩にかけ、愛情を目一杯注いで、我が子を育てます。

しかし、子どもが成長をして行くと、子どもの「自主性」や「主体性」を尊重し、親は自身の気持ちを抑え、心配ながらも、見守ってあげるという状況に変化して行きます。

そしてやがて、大人になり、子どもが巣立つ‥‥独立する‥‥こんな変遷だろうと考えます。

子どもが自主性や主体性に芽生え始めたにも関わらず、今まで通り、親の管理下で育てるとなると、子どもは反発するか?世間では通用しない、ひ弱な子どもになってしまいます。

「何十何歳になっても、子どもは子ども」その通りではありますが、これも度が過ぎると、世間からは「見苦しい」と映ってしまうのかもしれません。

今回の場合は、本来、政策論を戦わせ、「どちらの戦略や戦術が、これからの大塚家具の成長に有益であるのか?」が焦点にならなければならない訳ですが、会長側が親の傲慢さを、あからさまに見せてしまった為、多くの株主は「見苦しい」と捉え大差がついてしまったと考えるのです。

それに伴って、客離れも深刻で、3月の業績の落ち込みは酷い様です。

会長側も社長側も、親子というのではなく、社会の公器として、会社を成長させ、如何にして顧客、社員、株主に喜んでもらえるのか?という議論を双方すれば、今回の様な大差にはまずならなかったでしょう。

当社も規模の違いはあれ、同族会社ですので色々と考えさせられる、一連の騒動でした。

しかし、一方で、私自身は、大塚家具は健全だとも思っています。

上場企業ですので、世間の知るところとなり、大きな騒動に発展してしまいましたが、同族系の健全な中小企業では一般にこの様な事は行われていると思います。

創業者で会社を大きくされた方は、カリスマ性もあり、どこか頑固で、自己中心的な方々が多い感じです。

しかし、それでないと創業当時は会社も成長させられませんので、全然OKな訳です。

そういう人に意見具申できるのは、同族系の場合、やはり子どもという事に成らざるを得ないと思います。

社員ではまず無理だと思いますし、そこまでのリスクを背負わす訳にも行きません。

かくいう私も2代目ですので、創業者である父親には散々意見具申をしたものです。

商社勤めを終え会社に戻り、当初は父親のいう通りの仕事をしていましたが、意識転換ができて、主体的に仕事に取り組む様になってからは、親子喧嘩の如く、喧々諤々と父親とやり合ったものです。

しかし、社員の前や会社内ではなく、家に帰ってからです。

父親と私の共通点は、自身の事はどちらでもよく、会社を成長させるには?そして、社員、顧客、仕入先、その家族を如何にすれば、喜んで頂けるのか?

これは本質的に一緒で、あとは方向性、それに伴う戦略、戦術の部分で日夜、議論をしたものです。

ただ有難い事に父親は、懐も深く聞く耳を持っていましたので、まだ見識の浅い私の意見具申も、ある程度取り入れてくれたものです。

今思うと懐かしい感じがします。

特に時代の変化の早い現代においては、こういう健全な情熱のぶつかり合いは、企業としてやらなくてはならないと思うのです。

私も今まで、様々な同族系の中小企業を見て来ました。

ある会社のご子息は、父親のいう事を忠実に守る方でした。

従って、大塚家具の様な騒動も起きません。

しかし、時代の変化の中で、今、その会社は無くなってしまいました。

今回の大塚家具の騒動は、父親である会長側が、親の色を濃く出し過ぎてしまった為、親子喧嘩の様相が浮き彫りになってしまいましたが、同族系の場合、創業者のカリスマ性の中で意見具申できるのは、その子どもだけの様に思います。

親と子とも、社会の公器である本質をまず共通認識として、その上での戦略、戦術の議論は大いにすべきだと考えます。

それが同族系会社においては、健全な会社のあるべき姿だと思うのです。