創業事業 完全撤退‼︎
皆さん、こんにちは‼
蒸し暑い日が続きますね。
今年の梅雨は、降ったり止んだりという印象がありましたが、関東方面では雨があまり降っていないのか?水不足との事です。
心配ですね。
関東では木曜あたりが雨予報ですので、水不足も少し解消されれば良いのですが‥‥‥‥‥。
さて、話は変わりますが、以前ブログでもお話ししました様に、この6月、私達の会社は年度末で、創業以来(昭和38年8月11日創業)半世紀強‥‥会社設立以来(昭和43年5月1日設立)49期目の決算を無事、終えようとしています。
約50年経過しました‥‥‥‥‥‥。
振り返りますと、まだ何一つ、成し得ていない感は否めませんが、会社寿命は30年‥‥今や10年といわれる時代にあって、50年もの長きに渡り、継続させて頂いていますことは、感慨深いものがあると同時に、これまでお世話になりました、数多くのお客様、仕入先様、関係者の皆様‥‥そして、これまで、会社を支えて頂き、現在にまで至る多くの社員の方々のお陰であると、改めて、心より感謝を申し上げる次第です。
私達の会社の経営理念は「百年の大計」です。
企業はGoing Concernと言われる様に、継続成長が目的である為、それを経営理念にしたものです。
今期49期を終え、「Next 50 Years」〜次の50年に向けて〜をコンセプトに、来期からの5年間を最重要期間と位置付け、挑戦的な5ヶ年計画を現在作成中です。
次の50年に繋がる事業の爆速的推進を図りながら、繋がらない事業の見切りも同時に行う予定です。
見切りを行う事業としては、誠に不本意ながら創業事業を切る予定にしています。
この5年の間には、お客様方にご迷惑の及ばない形を取りながら、完全撤退をしなければならないと考えています。
私としましては、父が始めた事業でもあり、誰よりも断腸の思いであります。
中国の故事に「泣いて馬謖を斬る」という諺があります。
意味は、全体の規律を守る為、例え愛する者であっても私情を捨て、涙をのんで処分をするということです。
全体を勢いよく前へと進めなくてはならない時、足かせになる様なモノがあると、全体を守る為には、事業であれ、人であれ、それを切り捨ててでも前へと進まなければならない時があります。
その苦渋の選択は、やはり当代社長がしなくてはならないものです。
この話で、もう1つ、分かりやすい例を挙げますと、「瓶割り柴田」の話が有名です。
織田信長の家臣、柴田勝家が長光寺城の城主だった頃、六角氏に攻め込まれ、城の四方を囲まれた挙句、水路も断たれます。
多勢に無勢‥‥‥‥勝ち目は限りなく低いものでした。
籠城か?野戦か?
家臣達は勝ち目の無い戦から、籠城を支持‥‥‥‥。
城に残った水はあと僅か‥‥‥‥。
籠城していても、水が枯渇し、死を待つのみ‥‥‥‥。
そこで勝家は、家臣達に一杯の水を飲ませた後、水の入った瓶を全て叩き割ります。
家臣達は唖然とします。
しかし、もはや、退路を断たれ、座して死を待つか?
打って出るか?の二者択一です。
万が一生き延びる可能性があるとしたら、打って出る野戦しかありません。
気持ちがバラバラだった家臣団は一つに纏まり、翌日、勝家達は城から打って出て奇跡的な勝利を手にするのです。
これが「瓶割り柴田」の概要です。
上述の真意は、今のまま、残り少なくなる一方の僅かな水にしがみ付いていても、いずれ間違いなく水は枯渇し、多くの犠牲者を出す事は明白です。
僅かな水にしがみ付き、死を待つより、今、可能性がある方向に向かって、皆んな一丸となって活路を見出す‥‥‥この方がいいに決まっています。
しかし、いざ僅かな水があると、それにすがりつきたくなるのも人の真理です。
出て行って戦うんだという勝家にとっては、心強い人達も居れば、出て行って戦う事の怖さ、億劫さ、邪魔臭さ‥‥‥もう少し待っていたら何とかなるんじゃないか?という裏付けの無い楽観さ‥‥‥‥こんな思いを持っている人達も大勢おられます。
戦う人数が圧倒的に少ない上に、全員の気持ちが1つに固まらない状況では、到底勝ち目はありません。
家臣達が可能性のある方向に向かって一丸となる‥‥‥これしか窮地を凌ぐ道は無いと考えに、勝家は水瓶を叩き割ったのでした。
これにより、家臣達も、もはや、やるしかないという気持ちで一つになり、勝ち目の無い戦に見事勝利を収め、大きく道が開けたのでした。
企業においても同様で、同じ事が、事業においても、人事においても言えるのだと思います。
創業事業は、ピーク時に7億強あった売上が今では約80%ダウンしていて、今も尚、目減りが続いている状況です。
次の50年を考えた時、間違いなく繋がらない事業であり、今、そこに無用の時間を割く訳には行きません。
「選択と集中」‥‥‥分散しては駄目なのです。
それよりも、繋げていかなくてはならない事業‥‥‥今、経営資源を集中し、進めなくてはならない事業‥‥‥そして、今後、大きく成長するであろう事業の新規開拓活動に時間の多くを割き、新規開拓活動の量を増やし、短期間で多くの新規顧客の創造をしなければならない時期だと考えています。
これまで随分と猶予期間を設けてあった訳ですが、思う様に進まなく、等々タイムリミットが来てしまったという感じです。
もうこの活動を引き延ばす訳には行かず、今まで遅れた分を一気に取り戻さなければならないのです。
その活動をする事の出来ない理由として、創業事業があるとするならば、もはや、退路を断つしかないという事での決断でした。
少し私達の創業事業を振り返りますと、コシオカ産業の創業は、洗濯バサミに使われる小さな小さなリングバネ‥‥‥これの製造販売でした。
いわゆるバネ屋さんです。
創業時は越岡製作所と名乗っていました。
創業社長である父が、老舗バネ会社からの独立を機に、来る日も来る日も飛び込み営業を繰り返し、漸く、石切にある雑貨メーカー様より受注を頂いたのが最初でした。
残念ながら、そのお客様は早くに倒産されてしまいましたが‥‥‥‥。
当時は勿論、パソコンもネット環境も無い時代ですから、電話帳頼りの飛び込み営業です。
新規開拓と言っても、今とは苦労が全然違うという事は容易に想像出来ます。
機械設備が無い状況の下、「機械は発注済みです‥‥注文を頂かなければ困るのです」とのハッタリから、無理矢理受注をしたと聞いています。
社員や家族を守る為、必死だったのでしょう。
その熱意・必死さが伝わったのか?受注を頂く事になったのでした。
通常、数ヶ月、機械設備に時間を要する所、1ヶ月で機械を作らせスタートをしたとの事でした。
当時、バネ業界でいうと、大阪にあっては家電メーカーが隆盛の頃で、その市場・顧客を狙うというのが王道であったと思います。
しかしながら、それには多額の設備資金と技術者を要する事になります。
かといって、設備や技術者を雇って万全の準備をした所で、確実に注文が入るという保証はありません。
従って、資金面や技術面、品質面を考えた時、低額の設備費用で且つ作業者によって成り立つ、雑貨バネ市場への参入は当然だったと言えるかもしれません。
その後、父は、持ち前の営業力とバイタリティー・コミュニケーション能力により、販路を拡大して行きます。
当時主力部品だったリングも販路拡大には一役を担ってくれました。
家庭日用品という市場にあって、そのまた、ニッチなランドリー業界では、洗濯バサミを生産している会社が多く、1つの汎用部品によって販路が広がり、顧客とのコミュニケーション・信頼関係を構築しながら、顧客毎の受注生産による部品を受注し、提供していく事になります。
また、その後、これもニッチな市場であるハンガー業界の汎用部品‥‥ハンガーフックも手掛ける事になり、これもリングと同様に販路拡大には一役を担ってくれました。
ピーク時でリングは年間約1.8億個、フックは年間約3600万個を生産して、各々の市場占有率は70%を誇っていたものです。
その後、1990年頃から、時代の潮目が変わり、ニッチなニッチな市場だった為、転がる様に、その生産量は激減して行ったのでした。
創業事業は、目減りをして行く一方で、もはや今後の復活は困難な所まで来ています。
私達の会社の歴史・創業は、そんな小さな小さなリング‥‥‥‥そこから始まったのでした。
また、会社設立当時を考えますと、父は、バネ会社には珍しく、「産業」という社名を付けました。
バネ会社であれば、○○発条、○○バネ、○○スプリング‥‥というのが一般的なのです。
特に、その事業を永続的に行うという意志があれば、間違いなく○○発条としたはずです。
私も疑問に思い父に聞いた事がありました。
その答えは「産業としたのは、どんな事業でも出来るからだ」との事でした。
今、思うと、上述の様に、バネ業界にあっては王道ではないとの思い‥‥‥ニッチな市場でのビジネス‥‥‥そんな事業がいつまで続くのだろうか?という不安‥‥‥しかし、今、使える経営資源の限界‥‥‥‥その中で社員と家族を守って行かなければならない現実‥‥‥‥こんな葛藤からの船出だったと思いますが、社名だけには、未来に向けた期待のメッセージを含んで付けておこう‥‥‥そんな創業社長である父の思いが、「産業」という社名に込められているのだと思っています。
半世紀に渡る長い社歴において、創業事業のお客様の多くは縮小・廃業・倒産されている中、いみじくも、私達は「産業」という名の下、事業転換を繰り返しながら、今なお、成長過程を歩む事が出来、私達の生活を支えてくれる場所として現存しています。
どの市場も縮小傾向にあり、何をすれば良いのか?分からない時代において、今後50年続くであろう事業を見出し、突き進む事が出来る事の喜びと感謝‥‥‥‥‥これは父が「産業」という名を付けた時から、今の未来を予測していたのかもしれません。
この5年の間に私達は、創業事業からは完全撤退をしますが、創業社長の思いや言動・仕事に対する考え方は、無くなるものではありません。
どんなビジネスにおいても、何よりも大事な事は「新規顧客の創造」の重要性‥‥これは継続的に行なわなければならない!
特に、そのスタート時は、期限を設け、量を求め、遮二無二に新規開拓に邁進しなければならない‥‥‥そのスピードが重要!
原則的な順序として、投資や効率や営利から考えた時、顧客獲得→確度の高い案件獲得→そして企画購買活動‥‥‥‥このプロセスで行なわなければならない‥‥‥そしてスピードが重要!
汎用出来る商品やサービスが販路拡大・市場の拡大に繋がる!
これら、創業社長が行ってきた言動や考え方は、いつの時代においても不変の考え方であり、ビジネスを成功させる基本的な思考だと思います。
私達は、創業事業から撤退はしますが、この創業社長の考え方は、各々がしっかりと引き継ぎ、これからの会社の成長に繋げてくれるものと信じています。
そして、私も創業事業を完全撤退すると決断した以上、現ビジネスモデル「monocoto事業」‥‥次に続く「VPB事業」は、一命を賭して、何が何でも成功させなくてはならない‥‥‥‥‥そうしなければ、いつの日か親父と再会をした時、顔向けが出来ない‥‥‥‥‥そんな覚悟を持って、まず、これからの5年間をフルスロットルで駆け抜けたいと思っています。
コシオカ産業のこれからの5年間‥‥そしてこれからの50年に大いに期待をしてください‼
monocoto事業‥‥‥‥商品開発サポート事業及びモノづくりソリューション事業
事業コンセプト‥‥‥‥「誰かを幸せにする喜びを共に」
www.monocoto.life
VPB事業‥‥‥‥共同購入型PB商品開発
事業コンセプト‥‥‥‥「3D×時間」